松尾芭蕉の心境に大きな変化を与えた都留市!!名瀑布「田原の滝」で芭蕉の句を詠む
こちらは江戸時代の俳人・松尾芭蕉。
ちゃんとマスクをしていますね・・・笑
歴史的に見ても非常に有名な松尾芭蕉と、山梨県の都留市はとても縁深い関係にございございます。
天和2年(1682)の暮れに起きた江戸の大火に遭い、深川の庵を失い、俳句の弟子であった高山傳右衛門を頼って甲州谷村(都留市)に滞在しました。
高山傳右衛門は、当時谷村藩主秋元喬朝の国家老であり、現在の都留市文化会館前に屋敷を構えていました。
芭蕉は谷村に滞在期間中はその屋敷に離れである桃林軒で過ごし、句会などを催して名句を残しています。
旅に明け暮れた芭蕉にとって、谷村で過ごした日々は彼の生涯の中で最も長い滞在であったとも言われています。
江戸に比べて冬の寒い郡内の自然と、霊峰富士を間近でみる感動が芭蕉の心境に大きな変化を与えました。
この滞在が契機となり、その後の「笈の小文」「奥の細道」の旅を経て、「蕉風俳諧」が完成したと言われています。
その芭蕉が残した句の中に都留市の名勝の滝を詠んだ句がございます。
都留市指定名勝「田原の滝」
都留市の上谷地区と東桂地区を結ぶ橋から見ることができる滝でございます。
しぶきをあげて非常に勢いのある名瀑布。
かつては上下二段かの滝から成り、下段の滝は直下20mほどもあり、滝の響きは風向きにより上野原市まで聞こえていると言われていました。
明治31年に両岸が陥落し1段となり、大正12年の関東大震災以上は、崩壊が進み、滝の位置が30m程後退しました。
おおよそ8,000年前に富士山の活発な噴火活動により猿橋溶岩と呼ばれる多量の溶岩が噴出して、大月市の猿橋にまで達しました。
溶岩は冷えて固まる時に体積が収縮して、縦方向に多角形の柱が林立したような柱状節理が形成されます。
この溶岩を長年にわたって桂川が侵食して、趣のある渓谷美を作り出しています。
展望台もあり、より近くから見ることができます。
名瀑布と呼ばれているだけあり、勢いと音はすごいですね。
よりその迫力を感じることができます。
滝ってずっと見ていられますよね。
展望台の近くには、駐車場はやベンチ、トイレも完備されているので、心ゆくまで滝を堪能できます。
緑とのコントラストも美しいですね。
最後に芭蕉の句を。
「勢ひあり 氷消えては 瀧津魚」
田原の滝の氷柱も消え、富士の雪解けで水増した桂川の清流に踊る魚と共に、春を喜ぶ心情を詠んだ句です。
田原の滝
〒402-0031 山梨県都留市十日市場1527
0554-43-1111
URL : https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/shigai/kankojoho/8/8462.html
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