あなたは知っていますか?「山梨県」の名前の由来を。ルーツを紐解く勉強タイムへようこそ
「山があるのに山なし県」
この言葉、山梨県民なら何度も聞いたことがあるだろう。
なぜ「山梨県」という名前がついたのか、あなたは答えられるだろうか?
今回は山梨県にの名前の由来、ルーツについてお伝えしていきたいと思う。
まず「山梨」が県名になったのは、1871(明治4)年の廃藩置県により、「甲斐国(かいのくに)」→「甲府県」→「山梨県」となった。
「山梨」の言葉を調べていくと、奈良時代まで遡る。
奈良県にある正倉院に収められた御物(ぎょぶつ / 天子の持物。皇室の所有品)の中に、714年の日付で「甲斐国山梨郡可美里日下部(かいのくにやまなしぐんかみのさとくさかべ)」という表記があり、「山梨」の名が地名としてあったことがわかる。
ではその語源とは・・・
諸説あるが一つは、存在していた国司(昔、朝廷から諸国に赴任させた地方官)の役所が、平地に建てられたからとする説だ。
国司の役所は国府のことで、甲斐国の国府があった甲府市近辺は盆地が広がっており、「山なし」とされた説。
そしてもう一つが、かつて甲斐に梨の木が多くあったことに由来する説。
「梨の木」という名の小字(こあざ / 町村の大字(おおあざ)を更に細分した小区域)がかつては方々に残っており、諸国から朝廷へ納める果物のうち、甲斐国は青梨と定められていたとされる。
さらには、献上梨の山地近くに立つ神社の名を由来にしているという説もある。
献上する青梨の山地であった甲府盆地の北限には御室山という山があり、そこには山梨岡神社が鎮座する。この名が徐々に里の名前となり、やがて郡名になったとされる。
以上の説があるが、あなたはどう思うだろうか?
一番最初の「山なし」は「山無」であるからどうも違うっぽい。やはり「梨の木(献上梨の木)」に由来されていると考えるのが妥当であろうか。
そしてここでもう一つ。
上記で記したように山梨の名前は「甲斐国(かいのくに)」→「甲府県」→「山梨県」となった。サラッと書いてしまったが・・・
甲府県?
甲府は言わずもがな、現在の山梨県の県庁所在地である。
実は「甲府県」と呼ばれている時代が二年ほどあったのだ。
その理由を明確に記した文献はないとのことだ、評論家「宮武外骨」の著書「府藩県制史」の中の見解によると、
「討幕(幕府を倒すための政治的な運動・活動)に参加した藩が中心となった県は、かつての藩名藩の中心地の名が新たな県名となった。
一方で、幕府側あるいはどちらにもつかなかった藩の多くは、別の郡の名などが県名になっている。これには、住民の意識を幕藩時代と断絶させようとする新政府の意図があったのではないか」
と記している。
当時甲斐国は、王政復古に当たり、新政府樹立のための役割を何も果たしておらず、討幕に動いた人物もいないとのこと。
幕府側に立って戦ったわけでもなく、官軍がやってくるとすぐさま甲府を明け渡している。
従順に見えて、いわば日和見(ひよりみ / 事の成行きをうかがって去就を決しないこと)な立場だったわけだ。つまり新政府にとっては危険視すべき対象であった。
新政府の警戒があるな中で官軍が甲府に入り、新政府の統治開始を宣言したことで、甲斐市は終わりを迎え、行政上の名として「甲斐鎮撫府(かいちんぶふ)」が設置された。
この「府」は政府機関の在地であることを意味しており、「府」が置かれたのは全国で九箇所のみ。重要地と考えられた、東京、奈良、大阪、長崎、京都、函館、越後、三重県の渡会、そして「甲斐鎮撫府」のちに「甲斐府」である。
「甲斐鎮撫府」→「甲斐府」→「甲府県」と名前が変更されたのだが1871年に廃藩置県が断行されると、「山梨県」に改称された。
ここが謎のままなのである。誰か知っている方や、詳しい方がいれば是非教えていただきたいので、ご連絡をお待ちしております。
県名となった「山梨」は、八代郡、巨摩郡、都留郡と並ぶ甲斐四郡のの一つの名であり、甲斐一国を意味していなかった。そのため、山梨が県名となっても県庁は甲府に置かれたままで、県民の間では新しい県名が中々浸透されなかったと言われている。
いかがだったであろうか?「山梨県」の名前の由来。
そのルーツが明確になっているわけではないところに「浪漫」を感じる。
明確な答えがないからこそ、こうだったのかなぁとか、どうしてこうなったのだろうかといったことを想像できるということが楽しみの一つでもあるのではないだろうか。
山梨県のカルチャー。また次回をお楽しみに。
※参考文献 : 平山優監修「意外と知らない山梨県の歴史を読み解く!山梨『地理・地名・地図』の謎」
この記事へのコメントはありません。