禁断のスポットに突入!!閲覧注意の「花魁淵」
本日は、禁断の記事を書かせて頂きたいと思います。
興味がある方、そして嫌な方がいらっしゃると思いますので、是非ご自身の判断でお読みいただければと思います。
「花魁淵(おいらんぶち)」
誰もが一度は耳にしたことがある言葉のではないでしょうか?
花魁淵、地元では銚子滝と呼ばれまた、天保十三年に山田早苗(1773-1855)著「玉川泝源日記」には「五十五人淵」と記されていました。
このことから、「花魁淵」の正式名称は「五十五人淵」だと言われています。
では、なぜ「五十五人淵」なのか?
(ここから花魁淵の諸説ある由来の話を書きますので、嫌な方はお気をつけください。)
時は戦国時代。武田勝頼の死による甲州征伐の折、武田氏の隠し金山と言われたこの黒川金山も閉山とりました。
この時、金山の秘密が漏れることを危惧した金山奉行、依田の主導で、鉱山労働者の相手をするため遊廓にいた55人の遊女と金山に従事した配下の武士を皆殺しにすることを決めました。
今までの労働を労うという名目で酒宴を開いた武田軍は、柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台の上で彼女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害してしまいました。
生き延びて川の下流にある村へ流れ着いた人もいましたが、村には「遊女助けべからず」というお触れが出ていたため、村人に助けられることも叶わず、そのまま死んでしまったそうです。
この話を基に、「花魁淵」は日本でも有数の心霊スポットとして名を馳せています。
この話がもし真実であると仮定すれば、ただの心霊スポットとして片付けてしまうのではなく、このような無惨で残忍な出来事があったということを、しっかりと受け止めなければいけないのではないでしょうか。
これがその滝ですね。
流石の僕も昼じゃないと、行く気になれません。
伝説や心霊スポットとして謳われておりますが、それでもこの大自然はやはり素晴らしい。
少しアングラな記事を本日は書かせて頂きました。
花魁渕
〒404-0021 山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋
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