身延町の山麓を背景に凛と佇む山梨県指定有形文化財「旧市川家住宅」
本日は久しぶりに、日本の暮らし、伝統を後世に伝えていく重要な文化財住宅のご紹介をさせて頂きます。
南巨摩郡身延町の山麓を背景に凛と佇む、かぶと造りの茅葺きの大型民家。
山梨県指定有形文化財「旧市川家住宅」
市川家は平の大家といい、室町時代には武田家の家臣として狼煙台の管理にあたり、幾多の合戦に参加しています。
江戸時代に入り大庄屋、交替名手を勤め、慶安3年(1650年)には日蓮宗平等寺を開創し、新田開拓、用水路の整備等、地域の先駆者として役割を果たしたと言われています。
また、江戸の文化を富士川流域にもたらしたとされ、富士川水運と関係の深い家柄でございます。
両端の軒下にはよく見ると「水」と「寿」という字が記されています。
「水」は茅葺き屋根ですので、火に弱いので水神様を祀るという意味、そして寿には当主の「子孫繁栄」の願いが込められているとのことです。
市川家の所蔵する古文書には、享和2年(1802)に居住が消失され、棟札に享和3年(1803)上棟の記載があります。
これにより、市川家の主屋は建築年代の明らかな民家として評価され、山梨県民家の歴史、建築の学術的な基準として、貴重な建物とされています。
中に入るとまず出てくるのが、大土間と、富士川水運の帆掛け船。
慶長12年(1607)京都の角倉了以(すみのくらりょうい)によって富士川が開拓されて舟運が始まりました。
寛永9年(1632)い年貢米の廻送、明治になると下り荷として、米、木材、新炭、穀類、綿等、上り荷として、塩、天草、煙草、生魚、豆類、乾物、雑貨等がありました。
幕末から明治期にかけて、長野、山梨二国の生糸が横浜から輸出される路、「シルクロード」ともなりました。
歴史を感じる月刊誌の数々。
囲炉裏の間。
当時のものを実際に目で見て感じることがとても大事だなと思いました。
見て、感じて、そして当時の暮らしを自分なりに想像する。
きっとこうだったのかな、とか、こんな会話をしていたのかなとか・・・
やはり多くの人に実際に来て、見て、感じてもらうことが、過去、現在、そして未来に伝えていく大切な日本の「文化」なのではないかと思います。
旧市川家住宅
〒409-2413 山梨県南巨摩郡身延町和田2857
0556-20-3017
公開:8:30~17:00
URL : https://www.town.minobu.lg.jp/bunka/rekishi/2017-0711-syougai-kyuuitikawake.html
過去の文化財住宅のご紹介は、こちらをご覧ください。
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