あの「平家物語」にも出てくる弓の名手!!「浅利与一の層塔付五輪塔」
山梨の旅を初めて3ヶ月。
僕自身山梨を離れて、約13年程。
山梨のことについて知らないことだらけなので、直接山梨に足を運び自分の目で見て、感じたものをここで表現していきたいと日々感じながらやっています。
現在はこのような情勢なので、密にならない景観メインになっておりますが、山梨の歴史を伝える文化財もこの3ヶ月の間に見てきました。
山梨の歴史を知ることは、これからの「くるら」の活動を行っていく上で非常に重要なことだと強く感じています。
なぜ「ほうとう」が山梨のソウルフードなのか、なぜ宝飾産業が日本一と呼ばれるほど栄えているのか、といった「なぜ」を知っているか知っていないかで重みは変わってくると思います。
この情勢ゆえ、行動範囲が狭まったおかげで、たくさんの山梨の景観や、文化財に触れることができました。
ピンチはチャンス。
本日は山梨の歴史を伝える旅へ、あなたを誘います。
山梨県中央市大鳥居「浅利与一の層塔付五輪塔」
浅利与一・・・
「平家物語」にも登場する弓の名手。久安5年(1149)誕生。
平家を追う源義経に従い、文治元年(1185)3月24日壇ノ浦の合戦の折、平家との矢合わせに勝ち、遠矢の誉を天下に響かせました。
平家方と与一の間は400mも離れている場所で、射てきた矢を射返し、相手を倒してしまったと「平家物語」に書かれています。
弓の名手、三与一の一人として浅利冠者殿と尊称され、源頼朝御家人として活躍しました。
その浅利与一の墓が、山梨県指定文化に指定され中央市にございます。
今から約800年程前の鎌倉時代に建てられたとされ、今日に至る歴史の重みを感じます。
現在は、屋根は四重ですが、当初は反りの角度から推測して、五重もしくは七重のさらに大きなものであったと考えられています。
層塔を中心に左右には、大小数多くの五輪塔が並んでおり、浅利一族のものともいわれています。
浅利一族はあの武田氏の祖とされる甲斐源氏の一族で、甲斐国八代郡浅利郷を本拠としたと言われています。
誰でも耳にしたことであろう「平家物語」や「源平合戦」。
実際にその物語や歴史上に登場し、活躍された人物がこの地にいたことを今回初めて知りました。
山梨を知り、伝えていく旅はまだまだ始まったばかり。
これまでの山梨、今の山梨、これからの山梨
しっかりと自分の言葉で伝えていきたいと思います。
浅利与一の層塔付五輪塔
〒400-1513 山梨県中央市大鳥居1619-1
この記事へのコメントはありません。