古きを訪ねて新しきを知る。郷土愛がより深くなる「大塚古墳」

カルチャー

人生において、普段何気なく見ているものが、本当はすごいものだったということが往々にしてある。

山梨県甲斐市の指定史跡「大塚古墳」はまさにそれに当てはまると感じる。

甲斐市立敷島北小学校の隣に位置しているが、一見すると通り過ぎてしまう。

「灯台下暗し」を具現化したような古墳である。

大塚古墳は、荒川によって形成された扇状地の扇頂部分に築かれた古墳で、甲府盆地周辺部の古墳の中では北限の位置にある。

頂部を露出した石室と、その上に建てられた大岳山供養塔、脇に枝をひろげたエノキの大樹があって、大岳山信仰の場であることが知られている。

大塚の名称は、慶長6年(1601)10月 6日の「北山筋坂井村御縄打水帳」(中巨摩郡志)に記されたなかに「大塚」の字名がある。

のち境から字名「大塚」は古墳が実在しながら失われるが、古墳は昔のまま「大塚」と呼ばれてきた。

墳丘の規模は、 南北16メートル、東西15メートル、高さは西側2メートル、東側4.3メートルを測る円墳である。

大塚古墳の墳丘は周囲を大きく削り取られており、当初の規模を推測することは現況からは困難である。

石室の長さは8.8メートル、奥壁幅2.2メートル、羨門幅1.5メートルで、天井石は4枚あるが、奥壁側の1枚を除く3枚が築造当時のものと言われている。

この石造りは、本当に美しい。バランス感といい、計算され尽くしているように思える。

古墳の規模や形態から六世紀初頭から七世紀初頭に造られたと考えられている。

郷土の歴史や文化の研究、文化財の保護思想というのは、今を生きている我々が引き継ぎ、また後世に伝えていかなければいけないと強く感じる。

僕も生まれ育った場所が「山梨県」だったからという単純な理由かもしれないが、それでもこの年齢になり郷土愛というものをより強く感じるようになった。

山梨を自分の足で巡り自分の言葉で発信してくことで、少しでも山梨の為になればと思い、今後も活動していきたいと改めて強く思う。

「百聞は一見にしかず」

自分のこの目で見て、体全体で感じたことを、言葉を大切にして伝えていきたいと思います。

大塚古墳

〒400-0122 山梨県甲斐市境258

URL : https://www.city.kai.yamanashi.jp/kanko_bunka_sports/bunka_shogaigakushu/bunkazai/4/3024.html

Daisuke Akiyama

山梨旅人 山梨県南アルプス市出身。メンズファッションブランドのマーチャンダイザー及びEC事業部マネージャーを経て2021年独立。生まれ育った山梨を一から見つ...

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