関東最古の木造建造物!!「国宝・大善寺」本堂や庭園等、日本の美を凝縮した圧巻のぶどう寺
僕の地元は南アルプス市です。
正直、地元に住んでいるときは笛吹市〜甲州市、大月方面に遊びに行くことは全くありませんでした。
「くるら」の旅を始めてから、初めてちゃんとこちらの方面を周って、景観は勿論なのですが、文化財の素晴らしさに驚いています。
もっと早く知っていればとも思いますが、今その分しっかりと見て、感じて、くるらを見ていただいているあなたに伝えていきたいと思います。
そんな本日ご紹介するのはこちら。
山梨県甲州市勝沼町「国宝 真言宗智山派 柏尾山 大善寺 – ぶどう寺 -」
開創は養老2(718)年。行基菩薩が日光渓谷岩上で霊夢により感得された像 -片手に葡萄をもち片手で結印した薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊-を刻み安置して開かれたと伝えられています。
この山門は「山梨県指定文化財」に指定されています。
山門一戸楼門、入母屋造、銅版葺。棟札により寛政10年(1798)に、土屋但馬守英直(茨城県 土浦城主)により再建されたものです。
三間一間の二重門で、旧大和村の諏訪神社、三島神社の本殿を手掛けた下山大工、土橋文蔵茂祇により建築されました。
御神木
さあついに着きました!!大善寺 本堂。
奈多時代の西武天皇の御代には、鎮護国家の勅額と寺山号を賜り、平安時代には52堂3000坊を数える隆盛を極めたとされていますが、長い歴史の中で、大善寺は度重なる災禍に見舞われました。
時の鎌倉幕府の執権・北条貞時の呼びかけで再建された本堂は、薬師如来像・日光・月光菩薩像(国指定重要文化財)の薬師三尊像を安置していることから「薬師堂」とも呼ばれ、国宝に指定されています。
弘安9年(1286)の刻銘があり、元寇(弘安の役)の数年後に建立、築730年以上が経過し関東周辺でもっとも古い建物になります。
この佇まい、ずっと見ていられますよね。
なんというか、心が落ち着くというか安らぐ。日本人に生まれてよかったと実感できる空間でもありました。
この本堂の中については入らせて頂きましたが、写真撮影はできませんので、是非直接足を運んでみていただければと思います。
平安時代初期の薬師如来像・日光・月光菩薩像は五年に一度しか御開帳されないので拝むことはできませんでしたが、十二神将と鎌倉時代の日光・月光菩薩像は圧巻でございました。
楽堂
延宝5年(1677)再建立。当時大祭藤木祭や縁日の日には能堂で音楽を奏で稚児堂で舞をまい、参拝者をもてなしたと言われています。
稚児堂
弘化3年(1846)再建立。
松尾芭蕉の句碑
「勝沼や 馬子も葡萄を 食ひながら」
行者堂
藤切り祭新真木場
「奇祭・藤切会式」
修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が大蛇を退治し人々を救った1300年前から伝わるお祭りです。
大蛇を形どった藤の根を修験者が切り落とし、持ち帰ると果実豊作や魔除けなどにご利益があるといわれ、毎年5月8日に壮絶な奪い合いが繰り広げられます。
理慶尼墓
桂樹庵理慶尼は、勝沼氏の娘で名は松葉。永禄3年(1560)兄、勝沼信元が武田信玄により滅ぼされた時、嫁先から離縁され従者4人を連れ、大善寺の慶紹を頼り尼となり千鳥堂の横に庵を結び往し、慶長16年(1611)に没した。
尼は、天正10年(1582)3月新府から逃げ落ちてきた武田勝頼一行を大善寺に泊め、後にその後の有様を情愛を込めまとめた「理慶尼記」が、今も大善寺に晩年の尼の画像、墓所と共に伝え残されています。
場所はかわり、美しき庭園へ。
山梨県指定文化財に指定されています。
典型的な江戸時代初期の手法と言われ、低い山裾に滝及び築山を組み、その下部に池を堀り、水を流し、右手に亀出島、左手に鶴石組を構成。
説明よりもここはやはり見て感じるべきですね。
梅の花も咲き始めています。
いかがでしたでしょうか、見応え満載の「大善寺」
かなり重厚感のある雰囲気は、あなたの心に響くものが必ずあるでしょう。
関東最古の木造建築の本堂はもちろん、趣のある庭園は安らぎも与えてくれます。
勝沼の素晴らしい景観も拝める「ぶどう寺 大善寺」
おすすめでございます。
国宝 柏尾山 大善寺
〒409-1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
0553-44-0027
URL : http://daizenji.org/
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