重厚感とパワーを放つ四脚門!!富士川町「南明寺」の建造美に日本の機微を感じる
本日のご紹介は、正慶2年(1333年)創建された、南巨摩郡富士川町小林「南明寺」
当時の領主である大井春明が雪山玄呆を招き師である明峰素哲を開山者として勧請し一庵を設けたのが始まりと伝えられています。
上記の山門(四脚門)は、富士川町指定文化財に指定されています。
江戸中期の前半から中頃に作られたとされ、四脚門ながら規模は大きく、禅宗様※1.(ぜんしゅうよう)による力強い架構体が特徴です。
※1.禅宗様→禅宗と合わせて日本に伝わってきた中国(宋)系の建築様式にあたります。特徴としては、貫(ぬき)を多用した構造の補強、扇垂木(放射状の垂木)、火灯窓(かとうまど)、詰組柱と柱の間にもを入れる組物)、弓欄間、桟唐戸(桟と框の間に入子板を嵌め込む)など色々あります。
重厚感とともにパワーを感じる山門。
どっしりと構えていて、非常にたくましいです。
雲の感じと、この雰囲気が非常に幻想的です。
「今しかない 永遠に今今今の 無限連続 その一分のわが命」
この言葉、心に響きますね。
まさにその通りのお言葉。
本堂。
天正8年(1580)に住職となった用山義存は徳川家康が今川時代に知り合いだった人物で、家康が領主になると何度も当寺を訪れ多くの縁の品を寄進しています。
また、徳川家康が朝倉氏に敗れ甲斐に落ち延びた際には、義存を頼り南明寺に匿われ、敵方が捜索の為に境内に侵入してくると、家康に僧衣を着せ、弟子僧と共に擂粉木で味噌を擦らせて敵の目を欺いたと伝えられられています。
その徳川家康が弟子僧と共に味噌をすったという雷粉木が、寺宝として保存されています。
歴史を知れば知るほど、奥ゆかしくなる「南明寺」
決して目立っ造りではございませんが、その一つ一つの建造物や、石碑、お地蔵様のその繊細な機微に心を奪われます。
富士川町にお越しの際は是非、足をお運びください。
南明寺
〒400-0504 山梨県南巨摩郡富士川町小林2247
0556-22-1285
URL : https://www.town.fujikawa.yamanashi.jp/kanko/meisho/jiin.html
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